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姚明 李寧 劉歓 悪運に見舞われ続ける中国スター――北京五輪でのあの輝きはどこに

2011年01月01日
姚明 李寧 劉歓 悪運に見舞われ続ける中国スター――北京五輪でのあの輝きはどこに

【新唐人日本2011年1月2日付ニュース】2008年世界を沸かせた北京五輪、皆様まだ覚えているだろうか。早いものでもう2年余りになる。五輪の開会式、あるいは試合で活躍した姿はいまだ記憶に新しい。 

中国にとって、五輪は単なるスポーツの祭典ではない。共産党の威光を高め、ナショナリズムを高揚させるという政治的な意味合いが大きい。そこでインフラ整備からソフト、いわゆる共産党に異議を唱える人々への監視費用など国庫から巨額が投じられた。公に発表されただけでも3000億元、今のレートだと日本円で3兆6,000万円が使われたと当局も認めている。
 
もちろん、金だけではなく、中国で最もホットな人気のある人物も“貢献”した。例えば、日本でもおなじみのNBAスター姚明、そして中国のトップ歌手、劉歓など。しかし、2年半後の今、彼らの消息は余り聞かれない。一体どうしているのだろうか。
 
北京五輪でのあの輝きを放った人々。実は今、大変な苦境に陥っている。まずは彼らの状況からご紹介したい。
 
開幕式のトップダンサー 障害者に
2008年7月28日、北京五輪開幕式のリハーサル中、開幕式のトップダンサーの1人、劉厳がふとしたはずみで、足を踏み外し、2メートルの高さの台から墜落。頚部から地面にたたきつけられ、頚椎を骨折、骨盤も複雑骨折した。全身不随に陥った劉厳は、五輪の夢が砕けたばかりか、自身の舞踊芸術人生にもピリオドが打たれた。
 
劉厳、身長170センチ、1982年生まれで北京舞踊学院古典舞踊学科卒業。有名な舞踊家、王亜彬と同級生。まだ若いものの華々しい経歴の持ち主である。
2001年 全国荷花杯舞踊コンテスト・銀賞
2002年 全国舞踊テレビコンテスト・銅賞
2003年 桃李杯舞踊コンテスト・銀賞
2004年 第6回全国舞踊コンテスト・金賞
2005年 全国荷花杯舞踊コンテスト・金賞
2007年 文華賞で“築城記”“紅河谷”により2つの賞を獲得
2007年 第1回アジア青年芸術フェスティバルに参加・金賞獲得
 
劉厳はかつて、3つの舞踊劇で主役を演じたことがある。“瓷魂”の瓷靈、“西廂記”の崔鶯鶯、そして“紅河谷”の丹珠。2006年中央テレビ(訳注、中国の国営テレビ)で、楊麗萍、譚元元と共に“歲寒三友”の紅梅も演じた経験もある。関係者によると、劉厳の強みは、強靭な背筋と足を操るテクニック。これにより、“劉の足”という言い方さえ、業界内部ではあるという。
 
今、劉厳は夫、郎昆の介護を受けている。メディアはこりずにまた、“苦難の中でこそ本物の愛情が見える”と美談として報じているが、劉さん夫婦の愛情と結婚は実のところ、大きな物議をかもしていた。夫、郎昆さんの前妻、馬艷麗はかつてメディアに対し、愛人のせいで結婚生活が破綻したと発言。その愛人というのが、他でもない劉厳だという。劉厳と郎昆が手をつないで町を歩く写真が暴露され、前妻は夫の浮気に気づいたそうだ。
 
中国スター歌手 劉歓の悲劇
中国で押しも押されぬトップ歌手、劉歓は、北京五輪のテーマソングを歌った後、公の場から姿を消した。そして2009年6月、劉歓が杖をついている写真がネットに出回った。杖を頼りに、北京の繁華街の交差点をゆっくり歩いている写真だった。このあと、劉歓はめずらしく、慈善コンサートや表彰セレモニー、さらには上海万博など、一連の大きなイベントを欠席。唯一出席した、“第10回音楽風雲ランキング”の表彰式では、劉歓は動画を通じて謝罪したものの、その姿はやつれていた。
 
最近、中国国内の報道によると、劉歓は大腿骨頭壊死症にかかり、ひそかに米国に渡り手術を受けたという。劉歓はすでに国内で静養している。専門家によると、通常は手術後少なくとも半年間のリハビリ期間が必要だ。大腿骨頭壊死症は慢性の難治性の病気である。今後、杖がなくても歩けるようになることを劉歓は望んでいるものの、現実はまだまだ厳しいそうだ。
 
中国元体操トップ選手 李寧
中国の元体操トップ選手、李寧は今では有名な企業家として活躍中だ。この李寧がわずか1日で35億円もの投資資金が泡となったという知らせが中国中の関心を引いた。この李寧氏も、北京五輪聖火の点火式に参加している。
 
2008年8月8日の夜、不惑の年を迎えた体操の元トップ選手、李寧が北京の“鳥の巣”で宙を舞い、五輪聖火に火をともした。2008年10月、ウォールストリートジャーナルは“つまずいた李寧 将来に大きな不安”というタイトルで、点火式の2日後、2008年8月11日、つまり五輪開幕式の後の最初の取引日、時価18億ドルの香港上場企業、李寧有限公司の株価が急落、3分の1も下がったと報道。
 
五輪前、李寧公司はほぼ順調だった。2008年も6月までの半年間で、純利益が去年同時期よりも68%アップ。ただ五輪後、同社の前途に不安要素が次々と出現した。李寧公司の主席財務部長が前月に辞職。販売業者の倉庫には在庫が山積みになっていると噂されている。しかも、同社が五輪での宣伝を国内の力強い成長あるいは海外業務の拡張につなげられるのか、投資者からは疑問の声が沸いているという。
 
2010年12月25日、つまりクリスマスの日、香港メディアは、同社の販売不振を報道。証券会社は同社への評価を下げた。このほか株取引の失敗などのため、株価は16%近く急落。2004年の上場以来1日としては、最大の下げ幅で、その日だけで35億元(約430億円)も消えたという。
 
アナリストによると、李寧公司の予約販売会での成績は予想よりも悪かったため、同社が狙うブランド形成に影響を与えるとみられる。高級路線を歩む李寧製品は価格を上げた結果、すでにナイキやアディダスのレベルにまで近づいているものの、製品のブランドレベルは、まだこの2ブランドに及んでいない。
 
NBAスター姚明 痛ましい傷病歴
 
中国共産党系メディア“新華網”は今年4月、2010年米誌“フォーブス”が発表した中国富豪ランキングを掲載。スポーツ関連の収入では、NBAで活躍する姚明選手が7年連続でスポーツ選手の1位に輝いた。しかし、12月26日中国共産党が発表した姚明の傷病歴に、誰もが心を痛めるだろう。怪我の痛みで希望を失った姚明の表情からは、北京五輪の開幕式で、中国選手団の旗手としてあの晴れやかだった姿を全くうかがうことができない。
 
2002年10月20日、姚明はNBAヒューストンロケッツに入ったが、当時、ちょうど訪米中だった江沢民は、23日、ヒューストンに到着。ヒューストンロケッツに入ったばかりの姚明は、10月24日、テキサスA&M大学のブッシュ図書館の講演会に出席し、江沢民とも対話をした。このあとから、姚明の運命の歯車が狂い始める。
 
新華網は、2003年から2010年にまでいたる姚明の傷病歴を公開した。
 
背部の負傷:2003年1月8日、オーランド・マジックとの対戦で背部を負傷。
 
左眉骨の亀裂:2003年、姚明はナショナルチームのアジア大会の合宿で、練習中に、チームメートの王博と接触。左眉の骨に亀裂が入り、8針縫った。
 
左ひじ:2004年10月28日、ロケッツとスパーズのオープン戦で、姚明はネストロビッチ選手とプレー中に接触。腕を相手にはさまれて負傷。そのあと1ヵ月余りの間、1キログラム強のサポーターをつけてプレーに参加していた。
 
右足親指:2004年6月、ナショナルチームのダラスでの合宿に参加していた際、右足親指をうっかり踏まれた。数日後、親指の爪を再び踏まれて、半分欠けた。このときはそれほど大事にならなかったが、この怪我はそれ以後の相次ぐ負傷の伏線となった。
 
左足親指:右足親指の怪我が左足親指に“転移”。比較的重傷だった。
 
爪周囲炎:2005年12月19日、爪周囲炎になった際、医者は最悪の場合、爪が壊死すると先刻。このため1ヶ月間の休養を余儀なくされた。そして新たな爪が早く生えてくるように、2006年10月10日、左足親指の摘出手術を受けた。
 
負傷:2005年3月30日、ポートランド・トレイルブレイザーズとの試合中、負傷。
 
足首の捻挫:2005年11月26日、シカゴブルズとの対戦中に足首を捻挫。
 
眉の部位から流血:2005年12月7日、ロケッツの本拠地で試合中、ゴール下でのプレーで相手のひじが眉骨に当たり、出血。しかし、審判は姚明を反則とした。
 
左足の中足骨:2006年4月11日、ロケッツは
ユタシティとの試合で、第1クォーター残り4分で、こぼれたボールをもう一度ゴールに押し込めた後、着地した時、うっかり別の選手の足を踏んでしまい、左足小指を骨折した。
 
右足のくるぶし:2006年10月27日、オーランド・マジックとのオープン戦で、右足のくるぶしを負傷。
 
 
再び試合で負傷:2006年12月23日、ロサンゼルス・クリッパーズとの試合で負傷。痛みの余り立ち上がれず、退場を余儀なくされた。
 
右足脛骨:2006年12月24日、クリッパーズと対戦で、プレー中相手と接触、着地した時、相手がのしかかり負傷。ただちに病院に搬送された。脛骨骨折で、32試合も参加できなくなってしまった。
 
オールスター辞退:2007年2月18日、怪我でオールスターを辞退。
 
試合で負傷:3月18日、サンアントニオ・スパーズとの試合で負傷。4月9日も試合中に負傷。
 
左足のくるぶし:2008年2月27日、ロケッツは絶好調で、12連勝していた。しかし左足くるぶしはもう限界に達しており、診断の結果、左足の疲労骨折だと分かったため、残りの試合すべて出場をあきらめた。
 
足の故障:2008年4月5日足の故障。
 
ずっとプレーに参加できず:4月19日、ユタジャズ戦では、ファンが熱狂したため、プレーをあきらめる。5月2日、ジャズとのシーズン後の試合では、ベンチから見学するしかなかった。6月30日、北京五輪前の前哨戦として豪州との試合でも、見学していた。
 
8月8日、旗手として北京五輪開幕式に参加。
 
中指負傷:10月10日、メンフィス・グリズリーズとの試合中、中指を負傷。
 
相次ぐ怪我:11月20日、怪我のためベンチから試合を見学。11月26日、再度怪我で退場。
 
膝頭の負傷:2008年1月23日、インディアナ・ペイサーズとの試合で膝頭を負傷。
 
左肩負傷:2月8日、ミネソタ・ティンバーウルブズの試合中、左肩を負傷。
 
眉の骨の負傷:2月25日、ポートランド・トレイルブレイザーズとの試合で眉骨負傷。
 
負傷;ロサンゼルス・レイカーズとのシーズン後の第一試合で負傷。
 
左足くるぶし骨の亀裂:5月9日、ロケッツは
驚異的な追い上げで、プレーオフに進出。ロサンゼルス・レイカーズと対戦し、健闘を見せた。しかし、再び怪我で倒れ、左足くるぶしの亀裂により、このあと丸々1年も休戦を余儀なくされる。
 
今年の負傷:10月26日、試合会場で負傷。
11月11日、ワシントン・ウィザーズとの対戦で左足を負傷。11月13日、同チームとの試合で、足くるぶしの捻挫。
 
“揚子晩報”の12月26日の報道によると、姚明の治療法案はまだ未定だが、地元ヒューストンのある有名医師は、もし手術をすれば復帰できる可能性があると指摘。“手術をする場合、スチールの釘を2本埋め込めば十分だ。大手術ではない。しかし姚明の体の面からいえば、いつ回復するのか、次のシーズンには出られるのかを考えねばならない。手術後、姚明が復帰する場合、毎試合出場時間は24分を超えてはならない。しかも、もし再び亀裂骨折したら、姚明のスポーツ生命はこれで終わる”
 
この文章をお読みに名って、何を感じただろうか。中国を代表するスターが見舞われた悪運。これは単なる偶然なのだろうか。ここにある1つの仮説が存在する:中国共産党の側に立ち、中国共産党のために声を発し行動した者には、厳しい運命が待ち受けている。
 
では、この北京五輪をふりかえってみよう。五輪開催前、共産党が世界に約束をした人権の改善。しかし、改善どころか五輪を機に、中国の人権は悪化の一途をたどることになる。
 
会場やインフラ建設のために、十分な、ひいてはなんら補償もなく、無理やり立ち退かされて路頭に迷った市民。中国社会の改善を願い、権利を守るために声を発して牢獄につながれた活動家。自らの信仰を守ったために捕まり、拷問、迫害に遭い、さらには命を落とした人々。そしてこれらの声に耳を傾け、発しようとして暴力を受けた海外メディア。ここから中国共産党の闇の一面、そして本性が透けて見える。それは政権の安定、自らの利益のためには手段を選ばない点である。
 
自ら制定した法律を無視し踏みにじる共産党。守るべき国民を理不尽に傷つける共産党。その正義とは裏腹の道を歩む共産党に、本当に未来があるのだろうか。あるいはまた、その共産党と歩みを共にする日と人々に、健全な将来が約束されるのだろうか。もう一度、深く考えてみていただきたい。
(敬称略)
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